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日本の桜は世界を魅了する🌸

最終更新: 1日前

Hello, everyone😊

How was your day?

It was a beautiful day.

I passed in front of the cherry blossoms’ tunnel. Here is the photo. Is it gorgeous, isn’t it?





桜=cherry blossomsは日本の象徴ですよね🌸春が来た〜っていう気分‼️

Spring has come😊We feel Happy✨



桜は世界で愛されている花なんだよ🌸

Do you know that?



明治45年(1912年)3月27日 にアメリカの首都ワシントンD.C.に日本の桜が贈られました😄いまでは世界の名所の1つになっています❣️春になるとポトマック公園の桜がはなやかに咲きほこり見渡す限りの桜並木になります。ポトマック公園の桜は、明治時代の終わり頃にアメリカのタフト大統領夫人、ヘレン・タフトさん達の要望があり、当時の東京市長:尾崎行雄がプレゼントしたものです。


植樹式は明治45年(1912年)3月27日 にポトマック公園で植付け式を行なわれ、ヘレン・タフト大統領夫人と、珍田日本大使夫人によって、それぞれ最初の1本が植えら、そしてエリザ・シドモア女史が鍬をとって植樹しました。


その日本から送られた桜の苗木というのは、 東京の荒川堤の五色桜を穂木に伊丹市の東野で育てられた台木を接木した桜苗木でした。



桜は人の心、みんなの心を魅了します🌸 1887年ごろ、アメリカから日本に来て、桜の美しさに心をうたれ、日本の国に親しみを持った3人がいるんです。

I’ll introduce you to 3 people💕

世界中の植物を集めていた、ディビット・フェアチャイルド博士 (Dr.David Fairchild)は、日本での旅行中、東京の荒川堤に咲いているいろいろな種類の桜の花の美しさに心をうたれ、そして「このような美しい花をアメリカへ輸入出来ないだろうか。」と考えました。日本の桜をアメリカで育てて花を咲かせるためには、気候や土の性質がよく似ていなければなりません。そこでフェアチャイルド博士は、1906年ワシントンの近くのメリーランド州にある自分の庭園に25種類の日本の桜を植えて育てることが出来るか試みました。桜はみごとに花を咲かせました。


フェアチャイルド博士の友達のチャールス・L・マーラット博士は、同じアメリカ合衆国農務省に勤めていました。マーラット博士は昆虫学者で30年間農務省の昆虫局長を勤めました。この長い勤務の合間に、桜の木を自分の庭に植えました。


1904年の春、マーラット博士の庭で咲き誇る日本の桜の美しさにマーラット博士とフェアチャイルド博士は心を奪われていました。


2人はさっそく相談して花見のお茶の会をひらくことをきめました。日本では昔から花見の時は「野点」といってお茶の会をする習慣があります。日本に来たり親しみをもっている人たちは、この催しに喜んで参加しました。


このお茶会に招かれたお客の1人、有名な旅行家作家 エリザ・シドモア さん(Mrs.Eliza Ruhamah Scidmore (1856-1928))も桜の好きな人でした。シドモアさんjが初めて日本を訪れたのは28歳の時、明治4年(1884年)とされています。日本と日本人を好きになった彼女は、1891年に、それまで3回も日本に来て3年間過ごした日本の様子を「日本での人力車旅行」という本に著し、その中で日本各地の桜の名所の紹介をしています。


桜の花見の庭園で3人の桜を通した友情と、桜の木をワシントンに移植する活動がこうしてはじまりました。


フェアチャイルド博士はワシントンの人達に桜について知ってもらうために日本の植木業者から「しだれ彼岸桜」を取り寄せて1年間苗床で育てました。そして翌春にワシントンの各小学校へ桜苗を1本づつ持って帰り学校の庭に植えるようにしました。

またシドモアさんは、タフト大統領夫人のヘレン・タフトさんに会いました。そしてシドモアさんは大統領夫人にワシントンのポトマック川を埋め立ててつくる新しい公園に是非日本の桜を植えて下さい。と勧めました。


1909年シドモア女史は桜の苗木を購入するための募金を募るなどの活動をしたほか、かって日本を訪れたことがあり、桜の美しさを知っている当時の大統領夫人へ、計画されているポトマック河畔の埋立地公園に、桜の植樹を促す手紙を出しました。


(タフト大統領夫人からシドモアさんへの返信) The White House, Washington. April 7, 1909 Thank you very much for your suggestion about the cherry trees. I have taken the matter up and am promised the trees, but I thought perhaps it would be best to make an avenue of them, extending down to the turn in the road, as the other part (beyond the railroad bridge ­­Ed.) is still too rough to do any planting. Of course, they could not reflect in the water, but the effect would be very lovely of the long avenue. Let me know what you think about this. Sincerely yours,

Helen H. Taft


**エリザ・R・シドモア女史** Eliza Ruhamah Scidmore(1856-1928) 1856年米国ウィスコンシン州マディソン市に生まれる。兄が横浜領事館に勤務していたこともあり、1884年来日。通信記者としてアラスカや、日本,中国、ヨーロッパで数年過ごす。1907年には日露戦争で捕虜となったロシア人の、松山収容所での人道的な扱いをテーマとする小説を発表。武士道に基づく文化と、桜を愛でる日本人の精神に深く魅せられました。また新渡戸稲造とも親交があった。

 日本での滞在中に、向島の桜に魅せられたエリザはポトマック河畔の埋立地に桜を植樹するための活動をする。

 その後大正14年エリザ69歳、ワシントンを去り、ジュネーブ、スイスに移住。その理由は、米国会議が人種差別的な「排日移民制限法」を通過させたことに彼女は大いに激怒したためと伝えられている。

 スイスに移住後、昭和3年(1928年)72歳で死去。当時ニューヨーク・タイムズはその死を大きく報じた。彼女の兄は在日米国領事であり、横浜外人墓地に墓所があります。

 そして昭和4年(1929)11月4日、当日雨天、横浜山手外人墓地にて納骨式が行なわれ新渡戸稲造博士、弊原外相代理、埴原前駐米大使、有吉横浜市長、米国代理大使ネヴィルほか、およそ100名が参列。新渡戸博士が英語の弔辞をエリザに捧げる。 そして平成3年(1991)にはワシントンから里帰りした桜の苗木4本が墓の背後に植えられる。


参考website

http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/sakura.htm


What did you think about this story through the cherry blossoms?


桜を通じて、アメリカと日本の交流が深まったこと、桜が人と人を結んだこと🌸この桜のように、みんなも心と心を通わせて、英語を学んで世界に魅了する貴方自信と日本の良さを英語で語っていこうね⭐️





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